ドラマ「ブラッシュアップライフ」が好きな理由
2年ほど前に放送されたブラッシュアップライフと言うドラマが好きで、先日3週目を見てしまいました。何で好きなのか考えた結果、気づいたことがありました。
バカリズムが脚本を書いたドラマで、市役所で働く近藤麻美(安藤サクラ)が主人公。ある晩、幼馴染の三人で楽しく遊んだ帰りに麻美は車にはねられて死んでしまう。目が覚めるとそこは真っ白な死後の世界で、遠くにポツンと見えた受付カウンターに行くと、受付係の男(バカリズム)にあちらの扉から新しく生まれ変わってくださいと言われる。何に生まれ変わるのかと聞くと、グアテマラ南東部のオオアリクイと言われる。さすがにそれはと引く麻美に、受付係の男は、来世ではなく今世をやり直すこともでき、また人間に生まれ変わるチャンスがあると言う。それを聞いた麻美は、今世をやり直すことを決心。
先程の扉と反対にある扉を開けると、意識だけ今のまま赤ちゃんの自分に戻っている、、、
自分が生まれ変わったら
バカリズム脚本のコメディドラマなので、面白いのは間違いないのだが、何がこんなに自分にとって心地よく、3週目を見終わった後も、またしばらくしたら見るだろうな感を感じるのか。それはこのドラマのテーマである生まれ変わり(タイムリープ)の目的が、自分の人生をよりハッピーにするためにブラッシュアップ(やり直す)のではないという点である。そこにはバカリズムの仕掛けが密かに仕込まれており、次の人生でオオアリクイになりたくなければ、やり直しの人生で「徳」を積まなければならないということ。自分の人生さえ幸せであればいい、という生き方をすると人間になれないため、自分の周りの人たちが迎えることを知っている不幸を解決しながら2回目の人生を過ごしていく。
最終的には友達を救うために、過去の人生では友達と過ごした楽しい学生時代を捨てて、自分の時間を全て勉強や努力に費やすという内容である。
ただ自分に起きる不幸を回避して、良かったねと言う浅い内容だったらここまで好きにはならなかったと思う。ストーリーに一貫しているテーマが、誰かのために生きることであり、大きく解釈すると自己犠牲の精神といえる。
自分が生まれ変わったら、どんなやり直し方をするだろうか。と自己犠牲の象徴を見ながら思うのであった。
誰のために生きるか
ここからは価値観の問題なので個人的意見だが、多くの人が生まれてからしばらくの間は自分のために生きている。赤ちゃんは泣いて食べてうんこして寝る。子供は自分の欲求の赴くままに生きる。若気の至りで盗んだバイクで走り出す人もいるかもしれない。そして、そのまま自分のために生き続ける人と、自分のためと人のためが半々の人と、全振りで誰かのために生きられる足を向けて寝れない人に分かれる。(4分の1くらい誰かのためとかは置いておく)
どれが正解とも思わない。自分のために生きていくことで回りを幸せに巻き込んでいく人もいるし、自分だけでなく回りも不幸にしてしまうほど、何かに人生を捧げてしまう人もいる。
我が身を振り返れば、ここまでの人生、無教養に加え努力も怠り、人に迷惑をかけ、反省もそこそこに同じような過ちを繰り返し、50を過ぎ、酒と薬を交互に飲み、いい加減に生きてきた。どうせ迷惑をかけて死んでいくであろう。そんな自分がもし生まれ変わったとしたら、どんな人生を過ごすだろう?人のためになんて生きられるのだろうか?
愛で始まり恩で終わる
日本語は「あ」「い」で始まり「を」「ん」で終わると言います。
この世に生まれてきた我々は「愛」を与えられて育ち、後半は受けた愛情を「恩」返しして死んでいく。
自分にできないことをする主人公を見て感動し、気持ちを入れ替えなければと思い、またしばらくしていつもの自分に戻る。そんな成長の無さそうな人生ですが、成長していないようで、きっとたぶんちょっとだけは成長していると思います。
先日も、50を過ぎたおっさんである僕が、70過ぎの母親に、昔のあんたはホントに冷たかったと、過去の僕のひどい発言や行動を、あーだこーだ、あーしたこーした、あーでもないこーでもないと、まだあるの?と言うくらい聞かされ、以外にダメージを受け、結構反省しているのが僕の成長の証であると信じています。
ロビンマスクの次に僕が今欲しいのは、ブラッシュアップライフに出てくる脇役、加藤君の「粉雪」熱唱Tシャツ です。
「こな~」の瞬間がプリントされたTシャツです。